1分でわかる紀州のドンファン(野崎幸助)

「紀州のドンファン」こと野崎幸助さん

  • 恋人に6000万分の金品を窃盗された事件で有名に
  • 2018年5月謎の死を遂げ、真相は未だに解明されず
  • 莫大な遺産は、遺言により田辺市に寄付されるのか

野崎幸助さんの死因は急性覚せい剤中毒によるものと、その後の解剖結果から判明しました。一気に事件性が高まる中、野崎さんの遺産は30億ともいわれ注目されました。 「紀州のドンファン」野崎幸助さんはどんな人物だったのか。野崎さんの生い立ちから振り返り、死の真相と遺産問題について解説します。

紀州のドンファン(野崎幸助)の生い立ちと経歴

(画像:Unsplash

「紀州のドンファン」野崎幸助さんは無一文から億単位の財を築き上げるまでの資産家となり、その生涯を「いい女を抱くため」だけに捧げました。 実業家としての顔から「紀州のドンファン」と呼ばれるようになった経緯まで、知られざる野崎さんの人物像を紹介します。

生い立ち

野崎さんは1941年4月和歌山県田辺市に7人兄弟の3男坊として生まれました。終戦直後の混乱期で酒屋を営む実家はその日食べる物にも困るほど大変貧しい暮らしをしていたといいます。 小学生の頃の夢は「お金持ちになること」でした。中学を卒業してすぐに名古屋の酒造メーカーへ働きに出ます。 酒造メーカーは約1年で退社しましたが、その後自ら事業を始めることを決心し、和歌山の地元に戻って鉄くず回収を始めます。

コンドーム販売で成功

野崎さんはある日畑に落ちているコンドームを発見します。 当時薬局は規制が非常に厳しく店舗も少なかった時代でした。コンドームを堂々と買えない状況に目を付け、鉄くずを拾って日銭を稼ぎながらコンドームの訪問販売を開始します。 主婦を相手に「実演販売」して、売上がうなぎ登りになったという仰天エピソードもあります。野崎さんはビジネスの目の付け所がよく、人のやりたがらないことでもする忍耐強さで、コツコツと資金を集めていきます。