三河島事故は戦後最悪の鉄道事故。死者や負傷者を多く出した事件の原因などに迫ります。

経済

2019年10月22日

三河島事故は三河島駅で起きた脱線事故で、戦後最悪の鉄道事故だとも言われています。乗客が勝手に外に出たり、後続列車に事故を知らせないなどさまざまな問題点があった事故です。今回ビズキャリonlineでは三河島事故の原因やその後、関連事故について説明します。

1分でわかる三河島事故

1分でわかる三河島事故

  • 1962年5月東京都の常磐線三河島駅構内で列車が脱線
  • 脱線した列車に電車が次々と衝突し三重事故に
  • 死者160名・負傷者296名という大惨事となった

「三河島事故」は国鉄戦後五大事件に名前を連ねる、列車脱線多重衝突事故を指します。下りの列車と電車、のぼりの電車の三重衝突事故により多くの死傷者が出ました。 今回は現在でも教訓となりうる、「三河島事故」について解説します。

三河島事故の概要

「三河島事故」は1962年5月に東京都荒川区にある、国鉄常磐線三河島駅構内で発生しました。脱線した列車に次々と電車が衝突した多重事故で、多くの死傷者を出しています。 ここではなぜ多重衝突事故が起こったのか、「三河島事故」の概要について詳述します。

常磐線の三河島駅にて起きた脱線事故が発端

「三河島事故」が発生したのは、1962年5月3日の21時37分頃でした。常磐線三河島駅構内の下り線で、水戸行きの第287貨物列車が停止信号を見落としたのが発端です。 貨物列車は停止位置を通り過ぎたものの安全側線に進入し、下り本線まで入り込むことはありませんでした。しかし貨物列車のスピードが出過ぎていたため、安全側線で停止することができず車止めに突っ込み脱線したのです。 その結果、貨物列車は本線側に傾いてしまいました。

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脱線した列車に後続の列車が追突し脱線

1962年5月3日21時36分、取手行きの2117電車が4分遅れで三河島駅を出発していました。そして第287貨物列車が脱線事故を起こした10秒後、傾いていた列車に電車が衝突したのです。 衝突により電車の前2両が脱線し、上り線側に傾斜した状態で停止しました。この時点では貨物列車が安全側線にあったため、全面衝突には至っていません。 電車には多くの乗客が乗っていましたが非常用扉から脱出をはかり、上り本線の線路上を歩いて三河島駅を目指したのです。

その後さらに後続からきた列車が避難中の乗客をはね、前の列車に追突

1962年5月3日21時36分に起きた衝突事故は直ちに上司に報告されましたが、上り本線を走行する列車を止めるのが遅れました。 同日21時42分に事故発生を知らない上野行き2000電車が、三河島駅に近づきます。そして線路上を歩いていた乗客を、次々はねたのです。 そして2000電車は、脱線していた2117電車の先頭車両と衝突しました。

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