袴田事件は強盗殺人事件!冤罪の疑いや真犯人に関して詳しく解説!

経済

2019年10月10日

「袴田事件」の再審を巡る経緯は記憶に新しいところです。真犯人に関する憶測も流れておりマスコミを騒がせました。今回ビズキャリオンラインではこの「袴田事件」をとりあげます。事件を巡る経緯や裁判の流れに加えて、真犯人に関する噂の真相などにも迫ります。

袴田事件は味噌の製造会社役員宅が放火され殺害された事件

「袴田事件」は1966年に起こった、味噌の製造会社役員とその家族に対する強盗殺人放火事件です。「袴田事件」については一度再審を経て無罪判決が出ましたが、最終的な決定には至っていません。 今回はいまだ真相が解明されない「袴田事件」について、解説します。

1分でわかる袴田事件

  • 1966年に発生した強盗殺人放火事件で死刑判決が確定
  • 2014年3月27日に再審開始と刑の執行停止が決定
  • 2018年6月11日に高裁は再審請求を棄却し、最高裁に特別抗告中

袴田事件の概要と経緯

「袴田事件」は、1966年6月に静岡県清水市(現在の清水区)で起こりました。有限会社王こがね味噌橋本藤作商店(現・株式会社富士見物産)の専務の自宅が延焼し、家族も含めて4名の被害者が出ました。そして、4名は殺されてから放火されたことがわかったのです。 ここでは「袴田事件」の事件概要と、犯人逮捕までの経緯を解説します。

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焼け跡から4人の遺体が発見される

1966年6月30日の夜、静岡県清水市にある有限会社王こがね味噌橋本藤作商店の専務宅で火事が起こりました。その焼け跡から専務だけでなく、妻・二女・長男の遺体が発見されたのです。 その後の司法解剖の結果、焼死体として発見された4名はいずれも刃物による刺し傷が多数あることが判明します。そのため静岡県警は、殺人放火事件として捜査を開始しました。

長女のみ生き残る

事件当日、専務宅には長女も戻っていました。この長女は有限会社王こがね味噌橋本藤作商店の専務に勘当され、自宅を離れて暮らしていました。しかしこの日は、久しぶりに実家を訪れていたのです。 しかし長女は母屋で眠ることはなく、別棟で休んでいました。そのため、長女だけが生き残ることができたのです。

味噌製造会社の従業員の袴田巌の家で血痕の付着した衣服が発見される

捜査を進めていた静岡県警は1966年7月4日に、味噌の製造工場と工場内にある従業員寮を捜索しました。その際、従業員の一人である袴田巌(はかまだいわお)の部屋でごく少量の血痕がついているパジャマを発見します。 それをきっかけに、静岡県警は袴田に疑いの目を向けるようになります。袴田が元プロボクサーで素行が悪く、アリバイがないことも疑念を深める要素となったのです。

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