衆議院議員として活躍

学生運動を通じて政治と出会った石井鉱基は江田三郎を慕って日本社会党に入党します。早稲田大学大学院時代はモスクワに留学するなど見識を深め、政治家としての基盤を築いていきました。 帰国後は江田三郎の子息である五月の秘書を務めます。衆議院議員となったのは1993年であり、すでに50歳を超えています。政治活動は長かったものの政党内での活動に傾注しており、まさに「遅咲き」の衆議院議員といえるでしょう。 初当選時は日本新党であったものの、その後、自由連合や新党さきがけなど政党を渡り歩きながら、自らの信念を貫いていきます。

特別会計の税金の無駄遣いや天下りを指摘

「国会の爆弾発言男」と異名をとった石井鉱基は特別会計の税金の無駄遣い、国家公務員などの天下りを指摘しています。防衛庁調達本部背任事件(1997)では約2兆円の不正利用をあぶりだし、その名を世に知らしめました。 石井鉱基の戦略はマスコミを上手く利用する発信力と国会議員のもつ特権を十分に活用した情報収集能力ありました。 国会議員としては遅咲きであるものの、長らく永田町を客観的に観察してきた苦労人ならではの戦略であったといえるでしょう。