市川一家4人殺人事件は凶悪な強姦殺人!関光彦死刑囚や事件の経緯やに関して徹底解説!

経済

2019年9月27日

市川一家4人殺人事件は非常に凶悪な事件で、平成初の少年犯罪に下された死刑判決でも有名です。少年犯罪であるにもかかわらず実名報道をされたほどで、当時世間を震撼させました。今回はこの、市川一家4人殺人事件の全貌とその後の経過について詳しく解説していきます。

1分でわかる市川一家4人殺人事件

1分でわかる市川一家4人殺人事件

  • 千葉県で起きた強盗殺人・強盗強姦事件で一家4名が殺害される
  • 長女が訪ねた父親の会社の従業員による通報により犯人逮捕
  • 少年犯罪としては平成初の死刑確定・執行された刑事事件

【関連記事】少年犯罪として死刑になった事件はこちら

市川一家4人殺人事件の概要

千葉県市川市で市川一家4人殺人事件が起こったのは、1992年3月5日の夕刻から翌6日の朝方にかけてでした。 同年2月に犯人である関光彦が、下校途中の女子高生を強姦したことが始まりです。女子高生が被害にあった際、関に身分証明書を強奪されたことが引き金となってしまいました。 ここでは、市川一家4人殺人事件の概要について詳述します。

関光彦は傷害事件や強姦事件や暴力団とのトラブルを起こしていた

市川一家4人殺人事件を起こす前、後に犯人となる関光彦は女性関係を巡って暴力団とトラブルになっていました。 その原因は1992年2月6日に関が、市川市内にあるフィリピンパブのホステス2名を店に無断で自宅に連れ込んだことです。さらにアパートで2名の女性と性的関係を持つだけでなく、2日間自宅に監禁し暴行も加えました。 その後店に戻った女性たちから事の顛末(てんまつ)を聞き、フィリピンパブの経営者は激高します。そして暴力団に落とし前をつけるよう依頼したことから、関は追われる身となりました。

暴力団から200万円を請求されていた

関光彦は1992年2月8日以降、暴力団に追い込みをかけられていました。そのストレスを発散するかのように、暴行・強姦事件を起こしています。 1992年2月11日に東京中野区で、24歳の女性に襲い掛かります。鼻骨骨折というケガを負わせたうえ、車で自宅アパートに連れ込み強姦します。 さらに翌12日は後に市川一家4人殺人事件の被害者となる、一家の長女を強姦します。その現場で長女の生徒手帳を取り上げ、名前と住所を控えたうえで黙っているよう脅迫したといいます。 そしてこの日の夜、関は暴力団の組長に呼び出され200万円の慰謝料と売上損失分を請求されました。

金の工面ができなく、以前強姦をした少女の家への強盗を企てる

暴力団組長に200万円の支払いを承諾させられたものの、関光彦にそれを用立てるすべはありませんでした。暴力団の組員が自宅に取り立てに来ることもあり、車中泊をくり返すようになります。 そして手持ちの現金がなくなりかけた時、強盗することを決意します。その侵入先として選んだのが、前月に強姦した女子高校生の自宅でした。 関は被害者である少女の個人情報を得ていたため、家族の在宅状況を探るために何度か電話をかけたといいます。また2月下旬から3月1日にかけて、何度か現場となるマンションに足を運んでいました。

1/3

続きを読む

関連記事