外資投資による経済成長を促進

薄熙来が赴任した当時の重慶市は1997年に西部開発の拠点とされていたものの、外資投資がまったく進展していない状況でした。1997年から2003年における外資投資は5億ドルに満たなかったそうです。 しかし薄熙来が重慶市への外資導入に着手したところ、2008年単年で外資投資が27億ドルに跳ね上がっています。 そして翌2009年には37億円の外資投資を実現し、年16%を超える経済成長を促しました。

「打黒」という犯罪組織一斉検挙キャンペーンも行った

薄熙来は2009年6月から「打黒」という犯罪組織一斉検挙キャンペーンを展開します。これは役人や警察といった権力者が腐敗していることに大衆が不満を持っていることを理解しての行動でした。 そして同年7月には中心人物であった重慶市司法局長の文強(うぇんちゃん)を筆頭に、1500人以上を汚職で摘発しています。 「打黒」という犯罪組織一斉検挙キャンペーンにより、重慶市の利益を独占する黒社会にメスを入れることとなりました。

薄熙来事件の概要

「薄熙来事件」の発端は、2012年2月に起こった「王立軍事件」です。「英国人実業家殺害事件」を捜査していた王立軍は薄熙来と英国人実業家の間にトラブルがあったことをつかんでいました。 重慶市公安局長の任を解かれた王立軍が身の危険を感じて起こした行動が「不正蓄財事件」の発覚につながっていきます。ここでは「薄熙来事件」の概要について、詳述します。

2011年に重慶市内で英国人実業家が死亡した事件が発端

2011年11月に重慶市内のホテルで英国人実業家であるニールヘイウッド氏の死体が発見されました。このニールヘイウッド氏は薄熙来と日ごろから親しくしていたといいます。 重慶市当局はニールヘイウッド氏の死を急性アルコール中毒による事故死と断定し、司法解剖を行うことなく荼毘(だび)に伏しています。しかしニールヘイウッド氏は禁酒家だったことがわかり、殺人事件ではないかという疑念が生まれます。 英国が中国に事件の全容解明を求めたこともあり、重慶市公安局が再捜査を始めました。