言語弾圧の対象の拡大の契機に

滝川事件は共産主義者を追放するために起こった事件というよりも、当時の国家の方針に反対する言論を排除し、国論を一つにまとめるために起こった事件と捉えることが適切です。 文部省による瀧川幸辰教授に対する処分理由は必ずしも明確になっておらず、共産主義者排除の名のもとに言論を統制しようとする国家の苦しい胸の内がうかがわれます。暗い世情の中でもかろうじて残されていた大学自治という自由な領域がこうして潰されていきました。

滝川事件のその後

滝川事件に伴う京大教官の辞職はその後紆余曲折し、他大学に移った教官と京大に戻った教官に分裂しました。一説ではこの事件で漁夫の利を得たのは安い給与で優秀な教授を獲得した立命館大学ではないかとされています。 戦後GHQの方針のもとで瀧川幸辰教授は京大に復職し法学部教授や総長を歴任しています。一方瀧川幸辰教授追放をリードした鳩山一郎はGHQによって公職を追放されており、公職追放の要因の一つが滝川事件であったとされています。