自分に対して使う

「隣の芝生は青い」を自分に対して使う場合もあります。 ・隣の芝生は青いともいうし、実際は見えない苦労もあるんだろうけど、どうしても親友の境遇と自分の境遇を比べてしまうんだ。 ・隣の芝生だから青く見えていることはわかっているが、今の状況を思えば嫉妬の一つぐらい許されてもいいだろ。 自分に対して使う時は、自嘲的な意味であったりその後に続く愚痴への前置きであったりします。

隣の芝生は青いの類語(無いものねだり・我が家の米の飯より隣の麦飯がうまい)

「隣の芝生が青い」の類語には「無いものねだり」と「我が家の米の飯より隣の麦飯がうまい」があります。どちらも言い換え表現として使えますがニュアンスは微妙に異なります。 それぞれの意味を理解し、シーンに応じた使い分けをすることが大切です。

無いものねだりとの違い

「無いものねだり」とは、絶対に手に入らないものをほしがったり、できそうにないことを望んだりすることです。 「無いものねだり」は可能か・不可能かを問題にした言葉なのに対し、「隣の芝生は青い」は他人と自分を比較している言葉です。「無いものねだり」には「人を羨む」というニュアンスはありません。 意味は異なりますが、どちらも愚痴のやまない相手や過度に自分を憐れんでいる相手をいさめる時に使える言葉です。

我が家の米の飯より隣の麦飯がうまいとの違い

「我が家の米の飯より隣の麦飯がうまい」は他人のものが自分のものよりよく見えてしまう心理を表すことわざです。「隣の芝生は青い」と意味は同じですが程度はより強くなります。 どちらもうらやましさから相手がよく見えるところまでは同じですが、芝生の場合本来どちらも同じ青さという前提です。一方、こちらは本来米の方が麦よりもおいしいはずなのです。それが逆転してしまうほどなので、より極端な例えといえます。