1分でわかる花岡事件

花岡事件

  • 花岡鉱山で中国労働者が蜂起し監督を殺害
  • 裁判後は和解し和解金5億円が支払われる
  • 花岡鉱山跡地には産廃処理施設

花岡事件の背景

(画像:Unsplash

当時日本では日中戦争の長期化と太平洋戦争開始に伴い、国内での労働力不足が深刻化していました。特に戦争末期に鉱山労働力が不足したために、捕虜としてとらえた中国人を労働者として現地移入しました。 戦時中、花岡鉱山で強制労働をさせられていた中国人労働者が、扱いのひどさに耐えきれず一斉蜂起して、日本人監督者を殺害しました。蜂起した多数の中国人は殺害されてしまいました。 戦後行われた裁判で最終的には和解が成立し、5億円の和解金が支払われることとなりました。しかし和解金の大半は当時の中国人労働者の手にはわたっていません。また閉山した花岡鉱山跡地は現在では産廃処理施設になっています。

戦時中で労働力が不足していた

日中戦争が長期化したために労働力が不足したために、日本政府は本人の意思にかかわらず強制的に労働力を動員しましたが、太平洋戦争開始後は一層の労働力不足に悩まされることとなりました。 深刻化する労働力不足のため学生や女子まで無報酬で動員しましたが、労働力不足が解消されることはなく日本人だけでは限界がありました。 そのため特に労働力の不足していた炭坑や鉱山では捕虜としてとらえた朝鮮人や中国人が多く働かされることとなりました。

中国人を捕虜として多く捕らえていた

戦時中敵として戦った多くの中国人将兵は捕虜として捕らえられ、処刑されるか花岡鉱山などで強制労務させられていました。 中国とは長年戦争が続いていたため多数の将兵が捕虜として日本軍に囚われていました。 しかし日本軍は中国においては捕虜の存在を表立って認めることはなく、中国に捕虜収容所は建てられることもありませんでした。 日本軍に捕らえられた中国将兵の多くが日本に強制連行され、花岡鉱山などで働かされていました。