白い車と接触した説は否定された

マスコミは事故直後は、踏切内で白い車が列車に接触したことが原因だと報道していました。事故現場に大破した自動車の残骸が散らばっていたこともあり、そのような報道につながったようです。 しかし踏切があるとされていた塚口駅と尼崎駅の間に列車と車が接触できる場所などは存在しません。さらに近隣の立体駐車場や建造物から線路内にも、乗用車が落ちた痕跡は見つかりませんでした。こうした事実の積み重ねにより、白い車が接触したという説は早々に否定されました。

JR福知山線脱線事故での被害者・生存者

JR福知山線脱線事故では、二次的被害はありませんでした。マンションに激突し倒壊の危険があったことを考えると、これが奇跡的であったことがわかります。 しかし事故による死者が107名、負傷者が562名という数字は単独事故としては最大規模です。

死亡者と遺族

JR福知山線脱線事故における犠牲者の中で、折に触れて名前を聞く方の一人が大森早織さん(当時23歳)です。早織さんは在籍していた大学院に向かうためにこの列車に乗車し、事故に巻き込まれてしまいました。 遺族となった早織さんの父・大森重美さんは、事故直後は運転士への怒りをつのらせていました。しかし次第にJR西日本の安全管理に不信感を持つようになり、後に「組織罰を実現する会」を立ち上げます。 また13年同居した恋人を事故で亡くした女性が、事故の翌年に自殺したニュースを記憶している人も多いことでしょう。

生存者・後遺症を負った人々

JR福知山線脱線事故の負傷者562名は、命だけはとりとめることができました。しかしそのうち四肢を切断した方が88名、指などを切断した方が8名と、後遺障害が残った人が多数います。 先頭車両に乗車していた山下亮輔さんは命は助かりましたが、両足の麻痺という後遺障害が残りました。現在は伊丹市役所の障害福祉課で働く傍ら、講演活動も行っています。 当時同志社大学の学生だった林浩輝さんも先頭車両に乗車しており、左足切断という重傷を負いました。その後大学を卒業し、就職されました。