テントが内側から破かれていた

1959年2月26日、捜索隊は捜査を進める中で、山に捨てられているテントを発見しました。発見されたテントは内側から破かれて、その上には雪がかぶさっていました。 テントの中には荷物が置きっぱなしのままで、何足かの靴も残されていました。外気がマイナス30℃にも関わらず、登山メンバーたちはテントから着の身着のまま出ていったことが示されたのです。

遺体は薄着の状態であり放射性物質が衣服から検知された

1959年2月26日に捜索隊は、森のはずれの木の下で2名の遺体を発見します。発見された2名は、靴や服を身につけておらず、下着姿でした。そして、その木とキャンプ地の間で他3名の遺体が見つかります。メンバー5名の死因は低体温症でした。 そして3か月後、残る4名の遺体が発見されます。彼らは、最初に発見された5名に比べて服をきちんと着用していました。しかし、1名は頭部に、2名は肋骨に大けがを負っていたのです。また何名かの着衣は、高い濃度の放射線で汚染されていました。

遺体の損傷は激しいものもあり頭がい骨骨折や舌の切断などがあった

5月に発見された遺体のうち、1名は頭部に致命傷となる大けがを負っていました。 さらに2名は肋骨を骨折していましたが、ともに外傷は見られなかったといいます。後に検視官が、「とても高い圧力を加えられたようだった」と語ったほどです。そして1名は眼球と舌、もう1名は舌だけが失われた状態だったことも判明しました。

ディアトロフ峠事件で死者がでた原因

「ディアトロフ峠事件」は生存者がなく、遺体の発見状態が不可解だったため原因について様々な憶測が飛び交いました。そのた雪崩や滑落といった自然現象から、軍のミサイル実験・宇宙人によるものといった超常現象まで様々な説が浮上します。 ここでは「ディアトロフ峠事件」の原因とされた説を、いくつか紹介します。