事件が発生したのはまだ日本がGHQ占領下にあった時代

「松川事件」を含めた国鉄三大ミステリー事件が起こった当時は、まだ日本はGHQの占領下にありました。GHQは日本の民主化を進めていましたが、第二次世界大戦直後は共産主義や労働運動を黙認していました。 しかし1949年に入り中国大陸では中国共産党軍が勢力を増し、朝鮮半島でも共産政権と親米政権が北緯38度線を境に対峙するようになりました。そうした国際情勢を受けて連合国軍は、対日政策を民主化から反共の防波堤へとシフトチェンジします。 そのタイミングで国鉄で10万人の人員整理を行うと発表したため労働争議に発展、国鉄労働組合員の中に共産党員が多数いたこともありレッドパージ(赤狩り)を始めました。

国鉄労組と東芝労連は官公庁の行政施策に反対していた

1949年の日本経済は、ハイパーインフレーションにあえいでいました。そのためGHQは、ドッジ・ラインに基づいて緊縮財政策を実施することを決めます。その中に同年6月1日に施行された、行政機関職員定員法があったのです。 この行政機関職員定員法により国有鉄道は国家公務員から除外され、同日国の公共企業体として発足しました。しかし国鉄に対しても、10万人の人員整理を求めたのです。 こうした行政施策に対し、反対の姿勢をとっていたのが国鉄労組と東芝労連でした。

東北随一の共産党組織の存在

「松川事件」において福島県の国鉄労組と東芝労連が狙われた背景には、当時東北随一の共産党組織が県内に存在したことがあります。 当時の福島県は東北並びに北海道に通じる、交通の要衝でした。さらに首都圏の復興に不可欠な石炭や電力を、供給する拠点でもありました。 そうした土地に力のある共産党組織があり、その影響下で活発な労働運動が行われたいたことが捜査当局の目を向かわせることになったのでしょう。

松川事件では裁判を経るにつれて冤罪が発覚

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「松川事件」では別件で逮捕された元国鉄線路工の少年の自供をきっかけに、20名が逮捕・起訴されました。しかし裁判が進んでいく過程で、取調官による脅迫や誘導があったことが明らかになっていきます。そして、20名全員に最終的に無罪判決がくだります。 ここでは「松川事件」の容疑者が逮捕されてから、彼らの冤罪が証明されるまでの裁判の経緯を詳述します。