現場検証の結果、人為的事故であることが判明

412旅客列車の事故の一報を受けて、現場検証が始まりました。その結果、列車が脱線・転覆したあたりの線路の継ぎ目部分にあったボルトやナットが緩められていることがわかったのです。 そのうえ継ぎ目板も外され、枕木の上にレールを固定していた犬釘も数多く抜かれていることが確認されたのです。これにより長さ25mのレール1本が外され、13mも移動されていたことがわかります。 この事故は、人為的に起こされたということです。

捜査当局は捜査開始時から国鉄労働組合構成員によるものであると見込みをつけていた

「松川事件」の捜査を始める段階で警察当局は国鉄労働組合構成員によるものであると考え、談話も発表しています。「松川事件」が起こった1949年は7月6日に「下山事件」、同年7月15日に「三鷹事件」が発生していたからです。 事件当時の日本はGHQの占領下にありましたが、国鉄や東芝は復員によって雇用者が増えていました。しかし日本経済はハイパーインフレーションにあえいでおり、緊縮財政のために28万人の公務員を人員整理すると発表していたのです。 中でも国鉄は10万人近くの人員整理が行われており、それが3つの事件につながっていると捜査当局は考えたのです。

合計20人もの国鉄関係者が逮捕、起訴された

「松川事件」の捜査本部は、早い時点から東芝松川工場(現・北芝電機)労働組合並びに国鉄労働組合の構成員による共同謀議だろうと見込んで捜査を行っていました。 そして1949年9月10日に、傷害罪で元国鉄線路工だった少年を逮捕します。その少年は松川事件についても取り調べを受け、同月19日に犯行を自供します。そして、自供の際に共犯者の名前をあげたのです。 その結果同月22日に国鉄労組員5名と東芝労組員2名が、同年10月4日に東芝労組員5名が逮捕されます。さらに同月8日には東芝労組員1名・同月17日に東芝労組員2名が、同月21日に国鉄労組員4名が逮捕されました。逮捕者は合計20名にのぼり、全員が起訴されたのです。

松川事件が発生した背景

(画像:Unsplash

1949年に発生した「松川事件」は最高裁まで争われ、1963年に冤罪事件であることが確定します。日本には様々な冤罪事件がありますが、「松川事件」は戦後最大規模でした。 ここでは「松川事件」においてなぜ冤罪が起こったかを検証するために、当時の時代背景について説明します。