ソ連の戦闘機により追撃された

ソ連軍機は「機関砲を連射する」と地上に交信してあと、警告射撃を行いますが大韓航空機007便はこれに気づかずに航空を続けます。そこでソ連軍機は大韓航空機007便の尾翼に向けミサイルを発射します。 北海道稚内駐屯所の自衛隊が無線傍受をしていたことで、大韓航空機007便が突然消息を絶ったことやソ連軍からミサイルの発射命令が出ていたことが判明します。 その後の漁船などへの聞き取りによって、同時刻ごろに爆発音や燃料の臭いがしたという証言を得たことで、ソ連軍機による大韓航空機007便撃墜が推測されるようになっていきます。

ソ連は事件当初関与を否定

大韓航空機007便の爆破は日本海の日本領内に破損した機体の一部や遺体が確認されたことで、ソ連軍機による撃墜であると早くから推測されました。 しかし、ソ連は大韓航空機007便はソ連の領空から日本海側に飛び去っていったと発表し、大韓航空機がスパイ機であったのではないかという主張を続けます。 確かに当時の時代背景から考えるとソ連の主張を完全に否定することは出来ませんし、当然にソ連からの謝罪もありませんでした。

大韓航空機撃墜事件の捜査

当時の冷戦時代においてソ連は情報封鎖が厳しかったはずです。それだけに撃墜の事実をなかなか認めないという、捜査への非協力的な姿勢を取っていました。 ソ連は重要な証拠となるブラックボックスを回収しながらもその存在を隠し続けたのです。これらの行為から、ますますソ連の陰謀論が取りだたされるようになっていきます。

ソ連により大韓航空機撃墜事件の捜査は妨害された

このようなソ連の非協力的な姿勢によって捜査は難航します。撃墜事件の直後に日米ソは船舶や航空機を使って、大韓航空機007便が墜落したとされる周辺海域を捜索しました。 日本、アメリカは墜落されたと想定される樺太の西にある海馬島周辺の海域を、船舶や航空機で捜査を行おうとします。 ところがソ連は領海内への日本、アメリカの船舶の立ち入りを認めないといい出します。ソ連は公海上での捜査に対しても日本艦艇の進路を妨害するなど非協力的な姿勢を続けました。